食堂あおり

 

瀬戸田の耕三寺へ行く前に、立ち寄った食堂をご紹介します。

 

↑ 食堂あおりさん。お昼前でしたが、もう既に何組かお待ちでした。

 

↑ あおり天丼をご飯半分にして頂きました。

 

↑ お目当のあおりご飯は、予約で完売したとの事。取り敢えず、食べ方だけチェック。

 

 

あおり天丼は色んな部位が入っていて、味も食感も絶妙でした。

もう一品野菜があればな〜って思いましたが、その分お客の回転が良くて待ち時間が

少なくて済むので、それはそれで恩恵があると納得。

 

 

お店のご主人の対応も非常に良くて、続々と来るお客さん達にも笑顔で接していて

「今日はあと天丼が2つしか出来ないんですが…」と説明されていました。

まだお昼過ぎなのに もう品切れ!? と驚きましたが、その日釣れたアオリイカを

出されているわけですから、数に限度があるのも当然ですよね。

 

 

私は何の予備知識もなくただ連れられて行っただけでしたが、美味しい天丼に

ありつけて満足でした。また瀬戸田に行く事があれば、食べに行きたいです。

 

 

 

 

 

 

多肉の寄せ植え

 

やっとやっと、今までの「寄せ植えもどき」ではなく・・・

 

↑ ドーン!とガッツリ多肉達を植えてみました ♪

 

↑ バランスを取りながらギッシリと… を心掛けてみたらこうなりました。

 

↑ なかなかいいかも〜♪ と自画自賛中ですが・・・

 

 

なにぶん素人なもので、実のところ良し悪しがよくわかりません。

「片面構成になったな〜」とか「もっと高低差付けたかったな〜」とか

思いつつ、それもどうなんだろう?と、次々に疑問がわいておりますが

今は素直に「可愛い多肉に出会えて、イイ感じのプランターを見つけられて

こうして何とか無事に寄せ植え出来て良かったー!」と喜んでいます。

 

 

実は一度うっかり床に置き、猫達に1つポロンと落とされ焦りましたが

すぐに気付いたのでリカバリー出来ました。

今後も気を付けつつ、成長促進に力を入れていきます。

伸びたり広がったり変色したり… どうなるのか本当に楽しみで仕方ないです。

いつも枯らしてばかりだったけれど、今回はちょっと自信があります。

あわよくば「増やしたい」と本気で思っている図々しい自分がいます。。。

 

 

 

 

未来心の丘

 

耕三寺では、前回スルーしてしまった場所へ向かいました。

 

↑ 途中 振り返っては、桜と新緑を眺めながら・・・

 

↑ ずっとテレビでしか見られなかった ここ未来心の丘へ。

 

↑ 白い大理石がオシャレで、なんかギリシャっぽいような…(笑)

 

↑ 光明の塔。西に沈む太陽に合唱… だそうです。

 

↑ 救世観音大尊像の背後には、こんなに桜が咲いてたのね〜。

 

↑ こんな景色も広がっていました。

 

↑ 降りて来たところ。

 

 

母は大阪を出る前にテレビで未来心の丘を見ていたらしく、ちょうど良かったです。

ただ白い大理石だと眩しくて(白内障気味なので)、ちょっとした段差などが

わかりにくいようで少し怖がっていました。

 

 

父と来た時は、誘い込まれるように千仏洞地獄峡というおどろおどろしい洞窟へ

入ったのですが、今回は「あったっけ?」てな感じで気付きもしませんでした。

それも(忘れてスルーしたのも)ちょうど良かったです。。。

 

 

 

 

三度耕三寺

 

前回ここを訪れたのは、かれこれ6年半前。父が行きたいと言ったからですが・・・

 

↑ 今回は母が行きたそうにしていたので、またまた瀬戸田の耕三寺へ参りました。

 

↑ ニコニコ笑顔、これ一番大事よね。

 

↑ 釈迦如来坐像。

 

↑ 台座から宝冠までの総高は15mにもなります!

 

↑ 境内は桜が満開でした。

 

↑ こういう所を歩くのも、また心が落ち着きます。

 

 

このお寺は、家族がまだ揃っていた頃の思い出の場所です。

以前は父を、今回は母を連れて行きましたが、それぞれに思いを馳せていた事でしょう。

市町村合併で ここは尾道市となりまして、しまなみ海道を渡ればすぐに来られる場所に。

大阪在住の子供の頃はあれほど遠かった場所が、今や県内どころか市内です。

 

 

不思議なご縁を感じつつ、改めて家族の絆を感じた一日でした。。。

 

 

 

 

強い気持ちで

 

どんなに厳しい場所にいたって、もう構わない。

 

↑ 光の方へ従えば、こうして日の目を見る事が出来るってわかっているから。

 

 

ちょうど一週間、大阪から母が泊まりに来ていました。

実に三年振りです。

 

 

昨年大病が見つかり、何度も手術をし、母にとっては大変な一年でした。

コロナ禍で大きな手術にも関わらず、誰一人付き添う事を許されず

面会も5分、という事で 結局私は一度も帰省しませんでした。

 

 

夫にも何度も「帰れ、もう会えなくなったらどうするんだ」と言われましたが

「絶対来年母に来てもらう」と言い放ち、それに向けてのみ行動を取りました。

病気について調べ、体に良いと思うもの全てを送り付け、最初はなかなか

受け入れてもらえなかったけれど「私の得た情報」を言って何度も諭しました。

 

 

母は実績ある大学病院で診察を受けていましたが、私はその治療について

段々疑問を持つようになり、そうこうするうち母の体質には「治療不可」

との診断が下りました。普通の人なら「絶望感」に苛まれるところですが

私は「良かったね、お母さん!やっぱりお母さんってツイてるわ!」と

心から言いました。それから数ヶ月、やっと再会出来たわけです。

 

 

母も歳だし、元々体が弱いので、今後もどうなるのかはわかりませんが

とにかく免疫を下げないよう色々対策を取っています。

一時は厳し過ぎる治療に もう生きる気力さえなくしていましたが

今は違います。「また来るね」と言って、帰って行きました。

 

 

病気を宣告された時から 私は一度も泣きませんでした。

「私が絶対治す」と決めていたから。

人にも「死」を意識されたくなくて、病気の事も黙っていました。

 

 

人はいつかは死ぬわけだけど、母にはまだやるべき事が残っているように

思っていて、とにかく病気から色々学んで欲しかったのです。

妹とは違う視点で見ていたので、涙してる暇なんてなかったわけですが

母が去った後の部屋に入ると、自然と泣けてきました。

 

 

だけど、これはきっと母が病気じゃなくても泣いていたと思います。

私もそんな歳になったんだなぁ… としみじみ感じた瞬間でした。。。