一花

 

花の「散り際の美学」みたいなものを、私は信じている。

 

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↑ 枯れゆく途中でも、そこにエネルギーが発生しているように見える。

 

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↑ 咲き始めは 春のように若々しくて可憐だったこの花も…

 

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↑ 数日前、最後の一輪が朽ちた。

 

 

年末から「お正月のアレンジ」として脇役ながら咲き続けていた

アルストロメリアの花が落ちました。

花が枯れるのは当たり前の事ですが、最後まで生き残る生命力に

何か心惹かれるものがありまして…。

 

 

特に好きなお花でもないし、メインになるようなものでもないのですが

毎日心の一部を綺麗にしてくれた事は確かです。

長くそばにいてくれてありがとう。。。

 

 

 

 

6 thoughts on “一花

  • 2016年2月24日 at 10:33 PM
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    もののあわれですね。一時期こういうのばかり探して撮っていましたよ。
    それにしても正月から今までよく持ちましたね。
    切り花ってこんなに持つものなのかぁ

    • 2016年2月25日 at 6:39 PM
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      そうです、無常ですね。
      こういうのを「探して」って、意気込みが感じられます。

      他のお花は 当然もっと早くに枯れましたが、これは粘りましたねぇ。
      それだけうちの玄関が寒かったという事? と、ちょっと心配。(笑)

  • 2016年2月25日 at 5:44 PM
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    そうでした。
    YOKOさんは枯れ系大好き少女(笑)でしたね。
    お正月の花がこの前まであったなんて、何か薬でも使ったのでしょうか?

    >枯れゆく途中でも、そこにエネルギーが発生しているように見える
    なるほど~~~~です。

    • 2016年2月25日 at 6:44 PM
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      枯れ系が好きになったのは、写真を撮り始めてからなので
      少女時代は ひたすら綺麗で高貴なお花が好きだったんですよ。

      薬は持ってるけど、1滴も使っていません。
      (夏場に使おうと思って、置いています)

      蕾から開花する時と同じくらい、枯れていく途中に何か
      エネルギーみたいなものを感じるんですよね…。(謎)

  • 2016年2月26日 at 8:35 AM
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    植物にとって、花はまだまだ序章です。
    本番は受粉後に子孫を残すことですからね。

    でもそのためには花の咲いている期間、目一杯綺麗に咲いて、アピールしておかないとそれは叶わないわけでありまして。
    花の終わる時にはやりきった感でいっぱいでしょうw

    そしてそこから次の命を紡ぐために、またその命を費やすわけです。
    切り花はそこで終わってしまうわけですが^^;

    でも、切り花として愛でられる花は、人の手によって増やされますから、これもある意味、種を存続させる戦略としては理にかなっているものですw

    • 2016年2月26日 at 5:03 PM
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      まだまだ序章、わかるような気がします。
      繰り返す命あればこそ、その分潔く生きられるのかなとも
      思ったりしますね。

      やりきった感いっぱいの花もあれば、「こんなはずじゃなかった」
      とガッカリ感満載の花もあるでしょう。
      そこは人間と さほど変わりないかもしれません。

      植物も動物も、基本的に「生きることしか考えていない」ですよね。
      そこを人も見習えたら、もっと楽に生きられるのかもしれないのに
      なんて考えてしまいます。。。

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