三年間を振り返る

 

この三年間、私はいわゆる大殺界でした。。。

 

↑ 振り返ると、もうそれはそれは大変な事ばかり。

 

 

暗黒の時代… と言ったら大袈裟ですが、ありとあらゆる試練が押し寄せ

「今回(の大殺界)はキツいな」と何度も心がポキッと折れました。

でもその度に「どう乗り切ろうか」と考える自分がいて、そうすると

何かしらヒントがポンッ!と出て来て、何とかなったりならなかったり。

 

 

要は心の持ち様、考え方次第なんだという事を自分に言い聞かせ、実践し

そういった事を何度か繰り返すと、それが実績になりました。

考え、思いを巡らせ過ぎて  脳は疲弊していますが、心は丈夫になったかも。

 

 

大殺界と言っても 良い事も多少はあるわけで、今までよりもそれが有難く

感じられて「ああ、感謝が足りなかったな」とわかったり。

頭でわかっている事を心にも落とし込めるまでには、相当の努力と学びが

要りますが、余程の一大事でもない限りは何となくやり過ごしてしまうので

実際一大事が起こった時こそが 理解へのチャンスなのだと、今は思える。

 

 

一年一年、歳を取る分不利になる事も多いけれど、その分きっと何かしら

お得な事もあるし、それをゲットするのは自分次第。

年が変わったら、初心に戻り、また一から積み上げていく日々を送ります。

 

 

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいね。

いつも見て下さる方、たまに覗いて下さる方、本当に有難うございます。

良いパワーを差し上げられるよう、少しでも恩返し出来るよう努めます!

 

 

 

 

学び

 

先日、ある方々に大変なご迷惑を掛けてしまいました。

 

↑ 私の不徳の致すところです。判断力がなさ過ぎました。(写真は心のイメージです)

 

 

寛大なお心で許して頂けたのですが、巻き込んでしまった夫にも非難され

「サイテー」と言われてしまいました。

本当にそうだと思ったので、反論も出来ずそのまま反省していました。

 

 

ただ今頃になって、投げられたその言葉だけが心に残ってしまっている事に

気付き、何とも言えない心境に…。でも勝手に傷付くのはいけないなと。

 

 

そこで思った(気付いた)のは

「正しい事って言っちゃいけないんだな」って。

 

 

私自身が結構何でもハッキリ言ってしまうタイプなのですが

そういう事も含め、今後は改めていこう、もっと気を付けようと

思うようになりました。今、気付けて良かった。。。

 

 

 

 

終息を願う

 

一旦収束するかのように思えたコロナ禍は、今後どうなるのでしょうか?

 

↑ 花が確実に枯れていくように、病原体もとっとと枯れてしまえばいいのに…。

 

↑ 「打たないで」というより、「触らないで」という事?

 

↑ 平和を願うのは、今が平和であってもそうでなくても同じ。

 

 

収まらない事態、皆が緊張感を持ち続けて早数ヶ月が経ちました。

私も「気にしてなんていない。全然平気。」と思うようにしていましたが

やはり不安感がなかったと言えば嘘になります。

 

 

「もうすっかり慣れました」と言って退けたいものです、心の底から。。。

 

 

 

 

悲報

 

先日 友人に出交し、ペットのインコの訃報に接しました。。。

 

↑ 可愛いコだったので、残念でなりません。

 

↑ ピーちゃんのご冥福を祈ります。。。

 

 

結局なんだかんだで、一度しかピーちゃんに会えませんでしたが

写真を撮らせてもらったり、飛んで来て私の肩に止まったり…

と思い出に残っています。

 

 

寿命はいつ誰に訪れるかわからない事を

小さな命に教わった気がしています。。。

 

 

 

 

七年

 

今日もあの日と同じようなお天気でした。。。

 

↑ 今でも一番愛おしい愛猫、今日はまるおの祥月命日です。

 

 

2ヶ月前から2匹の子猫達と暮らしているのに

何でだろう、こうして写真を見るだけでまた泣けてくる。

あの日に引き戻されるのかな。

今思えば、一番辛かったのは あの日ではなかったのに…。

 

 

息を引き取った時は、その前の方が不憫だったので正直ホッとした。

絵に描いたような亡くなり方、思い描いた最期を迎えられたので

悲しいけれど、その時は納得していた。

 

 

翌日、うちのどの部屋からも一切猫の毛が見当たらなくなり、一気に

喪失感が押し寄せたことを今でも覚えています。

日常の当たり前がそうでなくなった瞬間でした。

 

 

私達にとって、あのコはずっと特別な存在です。。。