どんなに厳しい場所にいたって、もう構わない。
↑ 光の方へ従えば、こうして日の目を見る事が出来るってわかっているから。
ちょうど一週間、大阪から母が泊まりに来ていました。
実に三年振りです。
昨年大病が見つかり、何度も手術をし、母にとっては大変な一年でした。
コロナ禍で大きな手術にも関わらず、誰一人付き添う事を許されず
面会も5分、という事で 結局私は一度も帰省しませんでした。
夫にも何度も「帰れ、もう会えなくなったらどうするんだ」と言われましたが
「絶対来年母に来てもらう」と言い放ち、それに向けてのみ行動を取りました。
病気について調べ、体に良いと思うもの全てを送り付け、最初はなかなか
受け入れてもらえなかったけれど「私の得た情報」を言って何度も諭しました。
母は実績ある大学病院で診察を受けていましたが、私はその治療について
段々疑問を持つようになり、そうこうするうち母の体質には「治療不可」
との診断が下りました。普通の人なら「絶望感」に苛まれるところですが
私は「良かったね、お母さん!やっぱりお母さんってツイてるわ!」と
心から言いました。それから数ヶ月、やっと再会出来たわけです。
母も歳だし、元々体が弱いので、今後もどうなるのかはわかりませんが
とにかく免疫を下げないよう色々対策を取っています。
一時は厳し過ぎる治療に もう生きる気力さえなくしていましたが
今は違います。「また来るね」と言って、帰って行きました。
病気を宣告された時から 私は一度も泣きませんでした。
「私が絶対治す」と決めていたから。
人にも「死」を意識されたくなくて、病気の事も黙っていました。
人はいつかは死ぬわけだけど、母にはまだやるべき事が残っているように
思っていて、とにかく病気から色々学んで欲しかったのです。
妹とは違う視点で見ていたので、涙してる暇なんてなかったわけですが
母が去った後の部屋に入ると、自然と泣けてきました。
だけど、これはきっと母が病気じゃなくても泣いていたと思います。
私もそんな歳になったんだなぁ… としみじみ感じた瞬間でした。。。
ご病気をされていたんですね。
でも、長距離を移動できるくらい回復されて本当に良かったです。
私は昨年父を亡くしましたが、
コロナ禍にも関わらず最期に立ち会えて
悔いなくお別れできました。
YOKOさんの献身的はサポートがあれば
お母さまも心丈夫でしょう。
少しでも永くご一緒にいられますに。
温かいお言葉、ありがとうございます。
昨年でしたか…
お優しかったお父様が亡くなられたのですね。
あの時期最期に立ち会われるなんて、奇跡的でしたね。
うちの母は、治療終了と共にどんどん元気になりましたが
病変がなくなったわけではないので、通院生活は続きます。
娘の言う事より権威ある医師の方を優先していて(当たり前・笑)
そこがちょっと不満でもありますが、仕方ないですよね。。。
色々と大変だったんですね。
でも、すごい親孝行されていて感心しました。
私は年の離れた末っ子なので、
もう両親とも数年前に他界しました。
幸い「コロナ」のない時期でしたので、悔いなく色々できてよかったのですが
それでもたくさん悔いは残っています。
もう親はいないので、自分の最期を考える時期になりました(笑)
いえいえ、親孝行には程遠くて、最初は母に電話で
説教ばかりしていました。「死にたいのっ!?」と
言ったこともあります。サイテーでしょう?
とにかく必死でしたが、母の思いも汲まないといけないし
毎日が葛藤でした。(今もですが)
うちの両親はまだ若い方なのですが、私の友人知人の親は
ほぼほぼ亡くなっているので、生きてるだけで良しとしてます。(笑)
こんばんは。
本当に親孝行だと思います。
思う気持ちが大切ですからね。
人生の最後を迎える時に「あなたを生んで良かった」「辛い時もあったけど良い人生だった」と思ってくれると嬉しいなと思ってはいますが、私はそういう事を全然出来ていないので、YOKO*さんは偉いです。
うちは両親が離婚していて、実は父とは数年会っていなくて、施設に入っているのですがコロナ禍で面会も全く出来なく、ボケてきているのですが、次会える時は私が誰か分からないんだろうなと思っています。
bluemさんのご両親も離婚されていたんですね。
物凄く意外でした。
うちも同じくで、父とはもう何年も会っていませんでしたが
先月入院したと知り、久々に電話した次第です。
子供の頃の自分を憐れんだり、両親を恨んだりしたことも
ありましたが、全て引っくるめて自分の人生ですから
今は受け入れているというか、割り切ったというか…です。
bluemさんはご家庭も大事にされているし、お仕事もしっかりと
されているし、何よりちゃんと生きていらっしゃると思います。
ご両親にとっては、自慢の息子に違いありませんよ。。。