あの日から22年が経ちましたが、改めて…
↑ 阪神淡路大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
↑ 今ではもう、全てが 遠い昔のことのよう。。。
あれから 自分にも、日本にも、世界にも、ありとあらゆる事が起こった。
生きるのに 必死だったり、疲れたり、放棄したり、執着したり…
人は今を生きているのだなと、思うようになった。
過去を振り返ったり、未来を夢見たりしながらも
結局は 今を生きている。
だけど今日だけは、22年前のあの日に戻って、過去を偲びたい。。。
こんにちは。
昼のニュースで観て「あれから22年も経つのか」と、お昼を食べながら皆で話していました。
思えば20代の子は記憶にもなくて、中には産まれていなかったという子もいたり。
テレビで観た阪神淡路の光景は今でも鮮明に残っています。その後の東日本大震災を体験しましたが、なんて言いましょうか、離れた地の災害も他人事ではなく自分の痛みとして感じるというか、そんな契機にもなったものです。
何もない日常がどれだけ幸せな事か、そんな普段に気付いたのも震災に遭ってからのような気がします。
震災の前年のクリスマスに、兵庫県から大阪市内の実家へ戻ったお陰で
私は当時何を逃れました。(1月末に引っ越す予定だったのですが)
とにかく混乱していたので、友人・知り合いの安否確認もままならず
テレビの映像を見ては、一喜一憂しておりました。
大阪もかなり揺れましたが、街は何事もなかったかのように動いていて
「どうしてこうも違うものか」と嘆いたものです。
思い出の地が焼けたり 崩れたりというのは、辛いものですね。
あれ以来、色んな物の考え方が変わったように思います。
生きている間は、絶対忘れない出来事ではありますが
あの激しい揺れだけは、綺麗さっぱり忘れてしまいたいです。。。
そう、私も今朝のニュースで・・・。
ついこの前のような感じがするけど、もう22年も経っているんですね。
息子が生まれた年なんですよ。
だから彼らは、中学の修学旅行で神戸の被災地に行ったような記憶があります。
(曖昧な記憶w)
その日、朝のニュースで立ち上る煙に驚き
どんどん増える犠牲者の数にびっくりしたのを覚えています。
息子さん、95年生まれなんですねー。
さすがにそちらまでは揺れなかったでしょうが、後に聞くと
当時は尾道も結構揺れたそうです。
あの頃は携帯電話を持っていた人は極一部だし、SNSはもちろん
ネットやメールもない時代だったので、テレビだけが頼りでした。
寒い朝、電気・ガス・水道が止まっただけでも困り果てたけど
今思えばあの程度で済んで良かったと思っています。
防災の備えは、やっぱりきちんとしないといけませんね。。。