あの日から、もう21年も経つなんて …
↑ 遠い思い出、若かりし日々が 記憶の中で蘇る…
あの日、多くの人の運命が大きく動いた。
あの朝、ドスン!と音がしたと思ったら、まるで遊園地のバイキングを10倍速に
したかのような激しい揺れに襲われ、布団の中から出る事さえ出来なかった。
だから 電気が復旧してテレビを見るまで、私達家族は震源地は大阪だと思っていた。
その後こちらの電話は繋がったけれど、暫く混線状態が続いた上
肝心な阪神間の友人知人の安否確認は、ただ連絡を待つしかなかった。
馴染んだ街が通る度に変わっていくのは
どれだけ綺麗に整備されても、それが悲しかったりして
当時は心の傷になった。
でも今は違う。神戸は復興した。
まだまだ影の部分はあるけれど、あれだけの事を乗り越えてきた街と人に
これからもエールを送りたい。。。
おはようございます。
もうそんなに経つんですね、というと災害に遭われご苦労された方にはまだ21年か、とお思いになられるものと思います。
私も東日本大震災に遭いましたが、人の情、家族の繋がり、構造物を作る人間としても多くの事を学んだりしましたが、未だ津波の爪痕が残る場所もありますし、歩を止めずに前進する事を願ってやみません。
bluemさんも、当時は大変だったことでしょう。
東日本大震災は 津波の大きさ、阪神淡路大震災は直下型の
縦揺れ激震が印象的ですが、どちらも皆にとてつもない恐怖と
深淵のような底知れない悲しみを与えましたね。
最近、あちこちで(そちらも)地震が起こり、より備えを
しなければという思いが強まっています。。。
そんなに前の事でしたっけ。都会での直下型地震は怖いですね。
大きな地震を経験したことが無いので、どれぐらいの恐怖なのか見当もつきません。
あっという間の21年でした。
その後 ここ尾道でも何度か地震を経験しましたが、横揺れだし
規模も違うし、あの時とは比べものにもなりません。
頑丈なマンションでもギシギシどころか、ガッシャンガッシャン
言うほどの 物凄い揺れです。経験しないに越したことありません。。。
自分の人生の中で、衝撃的なのはやはり阪神・淡路大震災と、東日本大震災です。
一つは直下型地震の恐ろしさを、もう一つは海洋性地震の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたものでした。
もちろん中越地震も大変なものでしたが、やはり建物の倒壊や死者の数という意味で、先ほどの二つは衝撃的でした。
自分も十勝沖地震で震度6弱を経験しておりますが、周りに大きな被害を受けた人はおりませんでした。
職場は大変なこととなりましたが、幸い死者も怪我人も出ていませんので、先の二つには比べるべくもありません。
今でもあの震災の影響が未だに消えていない人もいるかもしれませんが、ひとまず神戸の町は復興したことは素直に喜びたいと思います。
いずれの震災においても、それによってお金や地位を失った人も多いかと思います。
そんな時、やはり最後に財産として残るのは、自身の心のあり方と、人のつながりであると思います。
震災の被害そのものは不幸な出来事でありましたが、物質的に豊かになった現代において、何が本当に大切なのかを学び、震災によって得たものを未来に活かすことが亡くなられた方々への供養になると思います。
東日本大震災がとにかく強烈過ぎましたね。
原発事故や津波など、それまでの地震では想定外の事ばかりが
起こり、東京の電力が脅かされ、その結果 主人の会社の
コンピューターにまで影響が及びました。
日本経済に響くということは、全国民に被害が及ぶということで
景気も心も冷え込みましたよね。
だからこそ「絆」の再認識がクローズアップされたのでしょう。
どんな事が起こっても、命さえあればそれでOK♪
ご先祖様に感謝しつつ、日々謙虚に生きていれば、大抵の事は
何とかなるものだと思えるようになりました。。。