被曝77年

 

何年経ったら、世界は平和になるのだろう…?

 

↑ 光も風も水分も土の養分も、どうしてこんな風に皆で分かち合えないのか…?

 

 

結局人間が一番愚かなのでしょう。

実際 生きる為と称して、ありとあらゆるものの命を奪っているわけですから。

ありがたいと思う反面、やはりごめんなさいと言いたくなる。

 

 

ずっと平和だと思ってきたけれど、ただ平和ボケしてるだけだったわけで

気分的にはもうのんびりしてはいられない… そんな感じです。

 

 

とはいえ、日々の生活を楽しみつつ、知恵もつけていきたいところです。

合理主義なので、物にしても情報にしても本当に必要なものだけを選んで

粛々とやっていきます。。。

 

 

 

 

あなたを思い出す

 

去年から、GWに愛猫ショコラちゃんのお墓参りに行くようになりました。

 

↑ この藤が、あのコを連想させてくれるようで・・・

 

↑ 小さくて、イメージカラーがピンクで・・・

 

 

風にさらわれて行ったような、ずっとそんな気がしているから。。。

 

 

 

 

強い気持ちで

 

どんなに厳しい場所にいたって、もう構わない。

 

↑ 光の方へ従えば、こうして日の目を見る事が出来るってわかっているから。

 

 

ちょうど一週間、大阪から母が泊まりに来ていました。

実に三年振りです。

 

 

昨年大病が見つかり、何度も手術をし、母にとっては大変な一年でした。

コロナ禍で大きな手術にも関わらず、誰一人付き添う事を許されず

面会も5分、という事で 結局私は一度も帰省しませんでした。

 

 

夫にも何度も「帰れ、もう会えなくなったらどうするんだ」と言われましたが

「絶対来年母に来てもらう」と言い放ち、それに向けてのみ行動を取りました。

病気について調べ、体に良いと思うもの全てを送り付け、最初はなかなか

受け入れてもらえなかったけれど「私の得た情報」を言って何度も諭しました。

 

 

母は実績ある大学病院で診察を受けていましたが、私はその治療について

段々疑問を持つようになり、そうこうするうち母の体質には「治療不可」

との診断が下りました。普通の人なら「絶望感」に苛まれるところですが

私は「良かったね、お母さん!やっぱりお母さんってツイてるわ!」と

心から言いました。それから数ヶ月、やっと再会出来たわけです。

 

 

母も歳だし、元々体が弱いので、今後もどうなるのかはわかりませんが

とにかく免疫を下げないよう色々対策を取っています。

一時は厳し過ぎる治療に もう生きる気力さえなくしていましたが

今は違います。「また来るね」と言って、帰って行きました。

 

 

病気を宣告された時から 私は一度も泣きませんでした。

「私が絶対治す」と決めていたから。

人にも「死」を意識されたくなくて、病気の事も黙っていました。

 

 

人はいつかは死ぬわけだけど、母にはまだやるべき事が残っているように

思っていて、とにかく病気から色々学んで欲しかったのです。

妹とは違う視点で見ていたので、涙してる暇なんてなかったわけですが

母が去った後の部屋に入ると、自然と泣けてきました。

 

 

だけど、これはきっと母が病気じゃなくても泣いていたと思います。

私もそんな歳になったんだなぁ… としみじみ感じた瞬間でした。。。

 

 

 

 

動けるうちに

 

最初は 動きが少なくて撮りやすい鯉だなと思ったのですが・・・

 

↑ 余りにも大人しく川底にいるので心配になってきて・・・

 

↑ 移動したのでホッとしたけど、こうして写真で見るとやはり痛々しかった。

 

↑ 人類でさえ、この先どうなるのかわからないのですから・・・

 

 

フィジカル、メンタル共に強くしたいものです。

自分との戦い… ですかね。

 

 

ある程度のやり方がわかっていても、なかなか出来ないのが現実で

他人事であれば簡単に思えるような事ですら、自分に置き換わると

尻込みしてしまう。本当に弱ってしまう前に、動き出さないとね。。。

 

 

 

 

脱・十年前

 

今日は猫の日。この日を意識するようになって、かれこれ四半世紀が経ちました。

 

↑ 十年前のまるお。今は亡き我が家の愛猫ですが、この写真を撮りながら思ったのが…

 

 

「もうあとどれくらいこのコと一緒にいられるのかな」

「来年は無理かもしれない」などといったネガティブな事ばかりでした。

昔は情報もなく、ただただ不安になるしかなかったんですよね。

 

 

この1年4ヶ月後に亡くなるわけですが、今にして思えば 猫の生命力は

考えていたよりずっと強く、その時その時で適応していくものでもありました。

飼い出した当初は私も若く、母親というよりは姉的な感じで接していたし

それなりに責任感を持っていたつもりではいたけど、今ほどではなかったかも

しれません。今も昔も命の重さは変わりないけれど、それに向き合う気持ち

というか、心持ちは随分変わったように思います。

 

 

あっという間に三年・五年と年月が経過するのを早く感じていましたが

十年までもひと昔前になってしまい、驚きつつも 心で思う事がこんなにも

変わるわけだから、それなりに時間が過ぎたのも頷けるようになりました。

 

 

ここ一、二年の間に見事に「死生観」が変わりましたが、今後またそれらが

どう変わっていくのか、上手く言い表せないけどちょっと楽しみにしています。